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加耶時代とは
加耶時代とは金海に加耶という國があった時代を意味します. 三國時代という名 が一般的に使われていますが, 古代韓國には高句麗·百濟·新羅の三國だけがあったのではなく, また加耶史が疎外される時代名 でありますから受け入れにくいと思います. 正しく, また疎外されるところのない韓國古代史の復元のためにも, 必ず直さなければならない時代名 であります. だからといって, ここでいう加耶時代が三國時代に替わる時代區分の名 でもありません. 主 的歷史觀でわが町の歷史を振り返ってみる意 から, 加耶という國があった時代という意味で, 加耶時代という名 が使われてもいいと思います. 加耶時代は加耶の國 が, 慶尙南道一帶に, 紀元前後から532年金海大駕洛, 562年に高靈大加耶が滅亡するまでのおおよそ600余年間の歷史を指します.
駕洛の國名
金海の加耶に對する名は實に樣 であります. それは加耶人自らの記錄が わらなく, 百濟や新羅による記錄が後代の歷史書に採錄されたからであります. そうだとしたら, 金海の加耶人自身たちが揭げた國の名は何であったでしょう.
『三國遺事』に採錄された「駕洛國記」は『三國史記』より早く編纂され,金海の加耶史を える一番古い文字記錄であります. 「駕洛國記」は駕洛國の歷史を記錄しようとする意志から編纂された歷史書でありました. 「駕洛國記」が金海の加耶を駕洛國と した意味は, 斷片的な事實から他の多くの名で命名した歷史書とは大きな差があります. 首露王は國を立てて, 大駕洛と名付けました. 大駕洛は加羅の中で一番强い勢力であったという歷史的事實と自負心を表す意味で, 金海の加耶人たちが主張し,使った國名であります. 『三國史記』は金海の加耶を加羅, 加羅人とも表記してあります. それなら,「加羅の國」はすなわち「駕洛國」になるはずです. 駕洛國の最後の王の子孫である金庾信の碑文にも首露王以前の金海を「駕洛九村」と書いてあります. 金海の加耶は駕洛國と呼ぶのが正しいのであります. 金官伽耶というのは首露王すら知らなかった名であります. 金官という地名は新羅が駕洛國を統一する時できた名でありました.
金官は駕洛國の金を管理しようとする征服者である新羅の意志が められた名であり, 金冠の意味ではなかったのです. 高麗時代の行政區域名が金官州でありました. 金官州にあった加耶という意味で, 高麗時代に付けられた名が金官伽耶であります. 首露王はもちろん駕洛國の人 が絶對知るはずもなかった名であります. 金海の加耶國を指す正しい名は金官伽耶ではなく, 駕洛國であった事實を知ってほしいのであります
<權珠賢>
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