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新羅時代とは

金海の歷史の中で, 新羅時代と言うのは駕洛國が532年に新羅に合倂されその終末を告げたあと, 高麗が建國される前までであります. いわゆる, 統一新羅と言われる時代でありますが, 百濟と高句麗が滅亡する約100余年前から金海地域は新羅の金官郡に編入されていました. 金官という地名はこの時から呼ばれ始めましたが, 征服者である新羅が加耶の鐵を司ろうとする意志で付けた名であります. 新羅の文武王は680年に金官を金官小京とその名を替えます. 地方の郡から小さい都という意味の小京に昇格したわけであります. 景德王16年に金官小京はまた金海小京という名に替えられます. 金海という地名はこの時からはじめて言われるようになりますが, 金(この時は鐵を表わす)と海の王國の 統はこの時までまだ がれられていたのであります.

新羅王室の母の里

文武王が金海地域を小さい都 小京に昇格させたのは, たぶん同じ血緣であるという考えでそうしたかも知りません. 文武王は武烈王である金春秋と金庾信の妹の文姬の間で生まれた人であります. 文姬は金庾信と共に駕洛國第10代王である仇亥王の曾孫で, 駕洛王室の子孫でありました. 百濟と高句麗を滅亡させ, 三國を統一した文武王の母の里が金海加耶の駕洛國でありました. 文武王は母の里の本官を金官小京に昇格させるとともに, その始祖である首露王陵に對する本格的な整備の命令を下します. 加耶時代にはなかったはずの首露王陵の高い封墳は, この時から今のような形をするようになったのでしょう.

新羅時代の幕開け

金海で新羅時代の幕開けを知らせている遺跡が龜山洞白雲台古墳であります. 日本植民地時代から知られている龜山洞古墳群の一つで, 1997年の發掘調査を通じて橫穴式石室の構造が確認されましたし, 金銅製裝身具, 印花文土器などが出土されました. 加耶の竪穴式石室は, 石で四方の壁をまず積み上げ, 上から棺を下ろした後, 石の蓋をしてから封土を被らせる構造で, 一回の埋葬に限りますが, 橫穴式石室は一面の壁に出入り口を作って, 再び埋葬できるようになっている石室形式であります. 石室の形式はとても保守的でありますから, 築造者の交替なしでは換わりにくいです. 加耶の竪穴式石室から百濟, 新羅の橫穴式石室への 化は, 金海地域の支配層に重大な 化が起きたことを語っているのであります. 白雲台古墳は構造と出土遺物からみて, 6世紀後半の物と推定されています. 532年に駕洛國が新羅に統合されたあと, 新しく造られた石室で, 新羅時代の幕開けを告げる遺跡なのであります.