トップ > 金海の歷史 > 先史時代
最初の金海人-新石器時代

金海地域に人が集 を成して住んでいた痕迹を殘し始めたのは7千∼5千5百年前で, 古朝鮮の以前のことであります. 釜山の江西區凡方洞, 金海の長有面水佳里で發見された貝塚は「最初の金海人」たちが食べ捨てた 貝殼が溜った遺跡であります. 「最初の金海人」たちが捨てた多くの貝殼の中にいろんな生活道具の破片もいっしょに捨てられています. 「最初の金海人」である新石器文化人の生活を ける大切な資料であります.

凡方貝塚と水佳里貝塚

凡方貝塚と水佳里貝塚にはたくさんの貝類と共に石斧,石刀,打製石器,石棒,硏石,砥石,土偶,櫛文土器, 釣り針等が出土されました. ここから出土された貝殼は約40種で, ほとんどがが海から採集されたものであります. この一帶は海の貝が採集できる地域であったのであります. 金海平野は潮が押したり引いたりする干潟と同じような地形だったのであります. 凡方貝塚の一番下の層からわが國でもっとも古い墳墓の子供の人骨が出土されました. 約130㎝,年は11∼13才ぐらいに推定される人骨は「凡方子供」と名付けられました. 唯一殘された最初の金海人であります.

水佳里の人と生活

水佳里貝塚で出土されている石器は伐木や狩獵に使われ, 底が尖った櫛文土器は海岸の砂でも容易に立てて使えた最初の器でありました. 釣り針は魚を捕るのに, 紡錘車は を取るのにそれぞれ使われました. 最初の金海人であった水佳里の新石器人たちは, 狩獵と漁撈の生活を營み, 本格的な農耕はまだ行われていませんでした. 水佳里貝塚の調査から 2,3回の斷絶が確認されましたが, 長期間一つのところで定着して生活をするのが難しかったのではないかと推測されます. 海水面の上昇による海岸線の 化等が原因になって移動生活をしなければならなかったと思われます. 水佳里の人たちは貝の腕輪のような飾り物を作って着飾ったりもし, 同じ時期の釜山影島の東三洞貝塚では顔の形をした貝殼も出土されています.

最初の韓日交流

「最初の金海人」たちは, すでに大韓海峽を渡って日本列島の倭人たちと交流をしていたと推定されます. 水佳里貝塚と同じ時期, 似通った性格の釜山影島の東三洞貝塚と統營の烟台島貝塚等では, 黑曜石と黑曜石で作った矢じりが出土されています. 黑曜石は黑くて表面がなめらかな火山岩で, 矢じりにするのには適當な素材であります. 南海岸では出土されない石なので, 火山が多い日本の九州北部の佐賀縣腰岳から輸入されたものと思われます. 「最初の金海人」であった水佳里貝塚の新石器人たちは, 4000年前にも大韓海峽を渡って日本列島の倭人と交流をしていたものと思われます.