トップ > 歷史館 > 加耶の社會
10代に徑る金海の駕洛國王の簡單な行蹟

現在まで殘っている資料の中で,駕洛國代の人物達は,主に王室世系を中心に,『三國遺事』にその行蹟が殘っています.もちろん他の記錄でも加羅の人物は確認されますが,『三國遺事』のように具體的內容を示すものはありません.駕洛國は紀元42年から532年まで,10代の490年間金海地域で勢力を營んだ言われます.それを整理すると下記のようになります.

始祖首露王は42年3月,金卵から生まれ卽位し158年間も國を治めました.金卵で生まれたことから,姓を金氏としました.王妃は許王后です.金首露王は王權を奪いに來た昔脫解の挑戰を受けたが,陰陽に關する理で退け,また新羅婆娑王の要請で音汁伐國と悉直谷國の紛爭をも調停しました.

2代の居登王は首露王と許王后の息子で,199年に卽位して55年間國を治めました.彼の王妃は許王后についてきた泉府卿申輔の娘の慕貞夫人でした.

3代の麻品王は259年に卽位し,王妃は宗正監趙匡の娘の好仇夫人でした.

4代の居叱彌王または今勿は259年に卽位し,阿躬阿干の孫娘の阿志夫人を王妃としました.

5代の伊品王は346年に卽位し,王妃は司農卿克忠の娘の貞信夫人でした.

6代の坐知王または金叱王は407年に卽位し,道寧大阿干の娘の福壽夫人を王妃としました.傭女と結婚し,彼女の一族の多くを官職に就かせ,國が亂れました.この時,新羅が駕洛國を侵略すると,臣下の朴元道は王に諫した.王は占辭を行い,その易卦に遵って傭女を荷山島へ謫して善政をしいて百姓を樂にさせたと言われます.

7代の吹希王(金喜)は421年に卽位し,王妃は眞恩角干の娘仁德夫人でした.

8代の 知王(金 )は451年に卽位し,王妃は金相沙干の娘の邦媛夫人でした. 452年に許王后の冥福を祈るために王后が首露王と結婚した地に王后寺を立てました.

9代の鉗知王(金鉗王)は492年に卽位し,王妃は出忠角干の娘淑夫人でした.

10代の仇衡王(仇亥王)は521年に卽位し,王妃は分叱水爾叱の娘桂花夫人でした.

532年に脫知尼今を國に殘こして置き,王子と長孫の卒支公とともに新羅に降入りしました.彼の息子に世宗角干·茂刀角干·茂得角干がいました.

<白承忠>