|
金官加耶 駕洛國 金官國 加耶國 狗邪國などの加耶の國名の問題
金海地方の古代の國名でもっともひろく知られるものは『三國遺事』五伽耶條にあらわれる金官加耶です.'金官加耶'は新羅末 高麗初に新羅に反對する復古的な社會雰圍氣のなかであらわれた名で,'加耶聯盟體の中での金官國'との意をあらわします.
では國家の存續のときの金海地方の國名はなんであったか? 『三國史記』 金庾信傳によれば,首露王が駕洛九村で開國して加耶といい,後に金官國ととりかえたとしました.これにしたがうと,開國のときの國名は駕洛または加耶であって,金官は滅亡の當時の國名である可能性がたかあります.
おおくもの史料で金海地方の國名をたずねてみると,加耶 伽耶 伽倻 加羅 金官 下加羅都 駕洛 南加耶 任那加良 大駕洛 南加羅 須那羅 素奈羅 狗邪 任那加羅 任那などがあります.
その中で狗邪 加耶 駕洛 任那加羅などは四世紀以前の前期加耶時代の國名を表示したものです.金官 須那羅 下加羅都 南加耶などは五世紀以後の後期加耶時代の國名を表示なものです.
史料の原典でみると,『三國志』と『三國遺事』とが前期の國名をあらわし,『日本書紀』が後期の國名をあらわし,『三國史記』は前期と後期との國名のすべてをあらわしています.ただ,『三國史記』新羅本紀に出る'加耶國'のなかで卷1 2の奈解尼師今十七年(212)條の以前の記事の加耶國だけが金海の加耶國で,同書の卷3 4の炤知麻立干三年(481)條の以後の記事の加耶國は高靈の加耶國を指してます.
ここでは金海地方の小國だけをあらわす時にはできるかぎり前期加耶時代の國名は駕洛國で統一し,後期加耶時代のものは金官國で統一します.
<金泰植>
|