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加耶人は身體を變形させたり,人爲的裝飾を行う風俗も持っていました.『三國志』魏書韓傳に,弁辰の人 は子供が生まれると頭に石を乘せて平らにしたという記錄があります.これを偏頭と言い,實際に金海市の禮安里古墳群では額が甚だしく後退した頭蓋骨が何頭も出土しました(< 4>).このような偏頭の風俗が,どこから來たのか,あるいは何のためであったのかは定かではありません.加耶人の特別な美意識だったでしょうか,それとも特殊な信仰を表すものだったかなどは,加耶史の謎でもありましょう.

なお,加耶には家族の死を哀悼する行爲として,齒を拔く風俗もありました.これは死者と特別な關係をもつ人,すなわち喪に服する人が齒を拔くことで,服喪拔齒とも言います.これも,金海市の禮安里古墳群から出土した人骨で確認されました.これらを家長權の繼承行爲とみる見解もありますが,共同體で階級分化が進行したこと,すなわち共同體の分化と關連するものかもしれません.

海岸地帶で行われた入れ墨も,弁辰時代からの加耶の習俗として缺かせません.入れ墨-文身は潛水して貝や魚を捕る際,大きい魚や水中動物からの害を防ぐためのもので,生業とも關係のある行爲でありましょう.

以上のように,加耶社會では現代の我 とは全く異なる風俗が多く存在していました.しかし,『三國志』の記錄のように,道に行く途中,人に會うと道を相讓る美德と,共同體の秩序を尊重する風俗もありました.

<權珠賢>