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加耶地域には殉葬古墳がひじょうにたくさんで,これは加耶の社會性格をあらわす
殉葬制度とは古代社會で王や貴族のような身分の高い人が亡くなった時,奴婢等の身分の低い人や動物を殺していっしょに埋葬する制度であります.この制度はエジプトや近東地方,中國をはじめ東アジア地域など世界的に廣く流行し,死後も現世の生きが續けるとの靈魂不滅思想や戒世思想から生まれたものだと思われます.
韓國の殉葬制度については,『三國志』の「魏書東夷傳」に夫餘の殉葬の記錄があり,また,『三國史記』にも新羅智證王が殉葬を禁止したという記錄があるので,實際に殉葬が行われていたことがわかります.加耶の場合は記錄には見えないが,多くの古墳から殉葬した事例が確認されたので,加耶でも殉葬が普遍的に行われていたことは明らかです.
古墳での殉葬の事實關係を判斷する基準は次のようであります.
第1に,一つの封土墳の中に2基以上の墓廓がある場合それが同時に作られたことが確認できなければならないが,封土が同時に築造されたかどうかは封土層位の攪亂の如何,または全體的な墓廓構成の計畵性等から判斷することができます.
第2に,殉葬の强制性が確認されなければなりません.强制的に埋葬された證據を確認することが容易ではないが,副葬に埋葬されている人の死體が副葬品と竝んで放り投げ埋められているか,または,殉葬廓に埋葬されている人の頭蓋骨が鈍器で人爲的に毆られた傷がある等のことであります.
第3に,同時に築造された一つの古墳の中に二人以上の埋葬者がある場合,埋葬者の間に身分の格差があって,主人公に對する從屬性が認められなければなりません.すなわち,主人公と殉葬者の間で墓廓の規模や築造方法の差があるとか,同じ墓室に埋められている場合は主人公を中央に安置し,殉葬者は主人公の足下か端におかれている等のことであります.
第4に,韓國の殉葬古墳は新羅や加耶の地域に主に分布しているが,そのなかにも加耶の地域に集中的に見られます.加耶の殉葬墓は殉葬者の埋葬位置と古墳構造を基準にして,主·副廓殉葬墓,主室殉葬墓,殉葬槨殉葬墓に分類することができます.
主·副廓殉葬墓は,主人公を安置する主槨と副葬品を入れる副槨,2つになっている墓制で,主槨の主人公の頭部のところや足下に殉葬者を埋葬する方式であります.または,殉葬者は副槨にも副葬品とともに埋葬する.この殉葬方法は大型の木槨墓が現れる地域の金海の大城洞古墳群が代表的な遺蹟で金官加耶式とも言います.殉葬者の數が3,5名である主·副廓殉葬墓は金海地域の外にも釜山の伏川洞古墳や積石木槨墳である慶州の皇南大塚,慶山の林當洞古墳群等の金官加耶地域や新羅地域に主に分布しています.
主室殉葬墓は,大型封墳のなかにただ1つの石室を築造してそのなかに主人公と殉葬者をいっしょに埋葬する類型であります.主人公はもちろん墓室の中央に仰向きに安置し,殉葬者は主人公の足下に埋葬するが,この類型は道項里古墳群をはじめ咸安地域に分布して阿羅加耶式の殉葬墓ともいいます.咸安の道項里8號墳の場合,竪穴式石室の中央に主人公を安置して主人公の足下に殉葬者5人を竝んて埋葬しているし,咸安の最大の古墳である道項里34號墳は6人を同じ方法で殉葬しています.
殉葬槨殉葬墓は,主人公の墓室である主室のほかに殉葬槨を別に備えて殉葬者を埋葬する方式で,殉葬槨がただ1 のみとなる單槨殉葬と1 以上となる多槨殉葬に區分します.單槨殉葬墓といってもほとんどが殉葬槨のみならず,主室の主人公の足下や頭のところにも殉葬者が置かれています.このような殉葬槨の殉葬は高靈,陜川,咸陽等の大加耶地域に主に分布して大加耶式の殉葬墓ともいえます.多槨殉葬墓は現在まで見られるところ,大加耶の中心地である高靈の池山里古墳群にだけ分布しています.多槨殉葬墓の中でも最大規模である池山里44號墳の場合を見ると,墓域の中央に主人公が安置される主室と二つの副葬品室を備え,この石室を圍むように圓柱狀や扇子狀の形で32 の殉葬式槨を配置しています.殉葬者は殉葬槨に置かれいる32人,主室の主人公の頭のところと足下に各一人ずつ,二つの副室にまた1人ずつの2人を合わせて36人が埋葬されたと推定できます.殘されている殉葬者の遺骨は50代の男性や20代の女性も見られます.さらに一つの殉葬槨に成人男女の頭を反對方向にして合葬したもの,10歲程度の女兒のみ合葬したもの,成人と女兒を合葬したものなど,多樣な樣相が見られれます.
埋葬者の身分や役割を明確に知る資料はないものの,殉葬者の遺物や埋葬位置を通じて大體の推定は可能であります.主室の殉葬者は金製イヤリングやガラス製玉ネックレスなど高級裝身具を着裝しているものは主被葬者である王に仕えた近臣のように見られます.副葬室の殉葬者は倉庫見張りの役割を擔當しているものと思われます.そして,殉葬槨の殉葬者たちにも馬のはみのような馬具,鎌のような農具,織造道具である紡錘車,矢じり,槍,刀のような武器等を持っている副葬品などそれぞれ違うものが見られるので,馬夫,食糧生産人,織造人,護衛武士など,それぞれ果たす職分があるようであります.
このような加耶の殉葬はだいたい首長層の墳墓と見られる大型墳では,王を始めとする支配層らが殉葬者の數や古墳の規模を通じて權力を誇示しているものと見られます.しかし,社會が發展すると伴い,人に代わって人間や動物形の土器を入れて殉葬制度を廢止していったようであります.加耶社會は高句麗や百濟に比べて遲くまで殉葬制度が殘っていたことからみると,社會發展が遲れていたことがわかります.
<權珠賢>
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